二 八 蕎 麦
 二八って? 蕎麦の値段? 蕎麦粉と小麦粉の比率?  
いや いや ”夢の第三の説” あり !

どうして二八蕎麦というネーミングができたのかな〜?

定説では 一杯十六文(2x8)の九九の説と蕎麦粉とつなぎの比率(8対2)の二説がありますが、しかし夢の第三の説がもっとも面白く限りなく真実に近いように感じます。蕎麦には松がとても重要です。たまたま私の名前に松がついているので松から話を進めます。

1 松は十八(ジュウハチ)の公(コウ)と書きます=公は帝 (ミカド) なり ミカド=三つの角=蕎麦の実(三角錐)

2 松の葉は一つの袴の下に必ず二本の針葉がついている。 つまり二つで対です  図1

3 会津若松にある蕎麦唄(そば口上)に 二本の箸をば杖に取り 喉の峠は花(鼻)歌で ハア俺とお前は双葉の松よ 枯れて落ちてもはなれまい と唄いながらに腹内に行く時のいい事は・・・という唄があります。 だからどうしたと先を急がないでくださいね。 いろいろ謎めいた関係があるのです。

4 江戸時代の錦絵には「二八そば・温飩(うんどん)」と大書した大きな置行灯や掛行灯を外に出している図があります。 これから推測するとそば粉とうどん粉の混合比率ではないのでは との疑問がでてきます。  (二六そば・うんどんもある)
 図2  図3  図4  図5 

5 物価が永らく安定していた江戸時代では そばが十六文である時代が長かった。 それを九九に引っ掛けて二八としたのは江戸人の機知によるところが多くネーミングとしては実にすばらしいものですね。 図6

6 しかし時代が進み値段が相当変化したにもかかわらず二八の名はそのまま どうしてなんだろう? そうするとやはりそば粉とうどん粉の配合比率が正しいのか?と迷ってしまう。 図7

7 でも普通考えると主となる蕎麦粉の八割をどうして前に持ってきて八二蕎麦にしないの? (例:九一そば) 日本と外国名を書く時は日米、日韓や日仏ですよね。日本が当然メインだからですね

8 さらに「蕎麦屋のこんくらい」と言うほどおおまかと言うか いい加減な (ここに鍛え上げられた勘と技があるのですが) 蕎麦打ち職人が 現代人のようにスプーン大さじ8杯な〜んてやっているわけがない。 一升包みのそば粉に一合枡で二杯(二合)のうどん粉を放り込むはずです。 (合計1升2合) 毎回そば粉をわざわざ8合 計ってなんて事はまずしないでしょう。 (江戸っ子は気が短いのだ)率ではなく量ですね。ですから正しく計算すると 8.3対1.7蕎麦ですよね。(12分の10と12分の2)

9 でも やはり九九でズバリ決めた方が粋だし江戸っ子の感 性に合うはずです。 さらにその中間に江戸の省略文化が入れてあるのでは・・・馬の背丈をあの馬は尺一寸とか尺二寸というのは 当たりまえの四尺の四を省略しており また陰暦正月と七月の各二十六日夜 月が昇るのを待っ て拝みます。それは阿弥陀様が観音様と勢至菩薩を左右に従え月の出と共にお出になるとの事で これを拝むと幸運が得られるという信仰があり その月の出を待って拝むのを二十六 夜待ちと言い さらに省略して六夜待ちと言ってしまうのです。 さらに・・・

10 時刻の表示でも約二時間を一刻とし 午前と午後の0時を九ツから始め 午前・午後2時を八ツ と言います。(唄にあるお江戸日本橋七ツ立ちは午前四時頃の出発ですよね) 現代人感覚からいうとカウントダウンではあるまいし、時間が進むにつれて数字が減っていくのはおかしい。そのようなことは世界中であるわけがありません。 九ツ八ツ 七ツ も全て正しい増え方なのです。それは真夜中と正午をそれぞれ九ツでスタートするのは易の思想で九が究極の陽数だからです。 

   9 x 1 =  9 
   9 x 2 = 18
   9 x 3 = 27
   9 x 4 = 36
   9 x 5 = 45
   9 x 6 = 54 ・・となりますね

この10,20,30を省いていくと  9  8  7  6 ・・・ となるでしょ。
でも凄い省略ですね

九ツから八ツ 八ツから七ツなどの間隔を一刻と言い現在の約二時間に相当します。 現在の明るくても暗くても6時は6時ではなく 日の出から日の入り 日の入りから日の出までを六つに分けましたので 季節により昼と夜の長さが変わるのです。
落語「時そば」の話は夜中の九ツ(午前0時)の鐘が鳴ったのを知っている夜蕎麦売と客との掛け合いの面白さでとても素晴らしい一話ですね。図8

ついでに・・・一日中と言う表現は英語では24 hours a day (一日24時間頑張ってま〜す)となり日本では四六時中と言いますね つまり明るい午前・午後と暗い午後・午前の4区分各6時間をベースにしていますね。江戸時代は明るい時間と暗い時間の二つを六つに分けたので二六時中(ニロクジチュウ)と言ったようです。

11 さて話しをもとに戻します。蕎麦もはじめは6文ほどから始まっています。一杯8〜10文の時代もしばらく続きました このあたりで二八そば・うんどん(うどん)のアイデアが出てきたのではと思われます

12 「東海道中膝栗毛」を書いた十返舎一九と言う人はすごくお蕎麦が好きでした。そしてその本の話に出てくる二人はヤジロベエとキタハチです。 このなかに二と八が隠れているでしょ? そして作者の名前が一九とは!  図9

13 そうそう 昔は(今でもそうかな?)「居候三杯目はそっと出し」と言いましたが・・・と言う事は二杯目まではオーケーと言う事ですよね! なんとなく ぼんやりと 解ってきたのではと思いますが・・

14 そうです! 二八と言うネーミングは 一杯九文の時期に作られた「二八」なんですよ。 つまり一杯 “苦悶” じゃ 縁起が 悪いし嫌でしょ? だから二杯でワンセットにしたのですよ。 双葉の松の意味がここではっきりしてきます。 つまり「二杯で十八文」なのです。 さらに江戸の省略文化が加味され十を省略して「二八」だけにしたんですよ。 これだと蕎麦とうどんの両方につかえるでしょ

15 ヤジサン・キタサンも蕎麦好きで”ニ”と”八”の仲。そして十返舎一九の一九は”一杯九文”を表していたのだ!

16 江戸初期と末期では当然蕎麦代の価格は違ってきています。 その変更を上手く九九や省略で換骨奪胎し生きながらえ”二八”と言えば蕎麦とわかる江戸から現在まで燦然と輝く「二八」となったのです。 江戸人のユーモアと機知と省略文化の最高峰が「二八」だと思います。

17 しかし この説は文書として残っていないのです。 でも 限りなくそうであるに近いのです。 夢の第三の説です。 ただ拠り所にするのは  “極当たり前の事”は文書や資料としてあえて残す必要がないと江戸人は思っていたのでは?と言う点だけです。 でも何とか古文書の中からそれを見つけ出したいのです。



「二八蕎麦の謎」の著者・笠井俊彌氏の許可を得てここに短くまとめたものです。詳しくは是非ぜひ原著をお読みいただきたく思います。 よく調べられたすばらしい夢の説です.

                                              
2009.09.16  松浦 孝次

笠井俊彌氏 著書

蕎麦と江戸文化」 二八蕎麦の謎   [出版社:雄山閣]
「風流大名蕎麦」             [出版社:中央公論新社]
蕎麦・江戸の食文化」          [出版社:岩波書店]

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